ローマ神話の体系化と発展を促進し、両者のあいだには対応関係が生み出された。また
プラトーンを初めとして、古代ギリシアの
哲学や
思想、そして
ヘレニズム時代の
宗教や
世界観に影響を与えた。
キリスト教の台頭と共に神話の神々への信仰は希薄となり、やがて
西欧文明においては、古代人の想像の産物ともされた。しかし、この神話は古代の哲学思想だけでなく、キリスト教
神学の成立にも大きな影響を与えており、西欧の精神的な脊柱の一つであった。
中世を通じて神話の生命は流れ続け、
ルネサンス期、そして
近世や
近代の思想や
芸術においても、この神話はインスピレーションの源泉であった
["Introduction, Greek Mythology" Encyclopaedia Britanica CD version, 2005。] [グリマル『ギリシア神話』 p.5。]。
今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語は、およそ
紀元前15世紀頃に遡るその濫觴においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられる
ホメーロスの二大叙事詩『
イーリアス』と『
オデュッセイア』は、この
口承形式の
神話の頂点に位置する傑作である。当時のヘレネス(古代ギリシア人は、自分たちをこう呼んだ)の世界には、神話としての基本的骨格を備えた物語の原型が存在していた
[『古代ギリシア文学史』pp.5-7 古代ギリシア人は、ギリシア本土に前二千年紀に南下して後、ミュケーナイを中心に紀元前16世紀頃よりミュケーナイ文化を築き始め、紀元前13世紀にはこの文化は東地中海を席巻した。しかし紀元前12世紀に、ドーリス人を代表とする別系統のギリシア人が南下を始め、アテーナイとアルカディアを残す領域を征服した。先住のギリシア人は小アジアに逃れ、そこにアイオリスとイオーニア方言の領域を造った。ドーリス人を代表とする西ギリシア民族のこの進出によりミュケーナイ文化は凋落し、ギリシアの暗黒時代が訪れる。] [『ムーサよ、語れ』p.28 他方、考古学的発掘では、トロイア遺跡丘第七a層の都市が紀元前13世紀半ばに火災で壊滅したことが確認されている。この年代は文献学の立場からのトロイア戦争の時期と一致する。『イーリアス』と『オデュッセイア』以外にも古く叙事詩が存在したことが知られており、ミュケーナイ時代の出来事の遠い反響とも言える。英雄叙事詩は暗黒時代を通じて口承で伝えられ洗練され、紀元前9世紀または8世紀のホメーロスの二大作品として世に知られることになる。] [『ムーサよ、語れ』pp.27-29 とはいえ、ミューケナイ王朝はワカナと呼ばれる帝王を頂点として、オリエント風の官僚組織を備えた一種の専制国家であったことが線文字Bの解読を通じて知られている。遠いミュケーナイ時代の事件は伝わったが、物語の枠組みとしては、暗黒時代を通じて育成されて来た新しいポリス的国家の自由に充ちた気風がホメーロスの叙事詩では表現されている。帝王アガメムノーンに反抗する若き戦士アキレウスの人間像は、ミュケーナイ時代のものではありえないのである。]。
しかし人々は、この地上世界の至る処に
神々や
精霊が存在し、
オリュンポスの雪なす山々や天の彼方に偉大な神格が存在することは知っていたが、それらの神々や精霊がいかなる名前を持ち、いかなる存在者なのかは知らなかった。どのような神が天に、そして大地や森に存在するかを教えたのは
吟遊詩人たちであり、詩人は姿の見えない神々に関する知識を人間に解き明かす存在であった。神の霊が詩人の心に宿り、不死なる神々の世界の真実を伝えてくれるのであった
[『神統記』訳注26, pp.127-128、同書・解説 pp.157-160。]。この故に、ホメーロスにおいては、
ムーサ女神への祈りの言葉が、朗誦の最初に置かれた
[『ギリシア神話の世界観』pp.19-20。]。
口承でのみ伝わっていた神話を、
文字の形で記録に留め、神々や英雄たちの関係や秩序を、体系的に纏めたのは、ホメーロスより少し時代をくだる
紀元前8世紀の詩人
ヘーシオドスである
[ヘーシオドスは文字を知っており、彼の作品は朗唱されただけではなく文字記録の形を最初から持っていたとする説がある。松平千秋『仕事と日』解説 pp.188-189。ただしこの説の真偽は不確かである。しかし、彼の作品はホメーロスの叙事詩とは異なり吟唱詩人が詠い伝えたものではない。そのような記録が残っていない。ヘシーオドス自身が文字化したのではなくとも、彼の詩は早期に文字化されていたと考えられる。]。彼が歌った『
テオゴニア』においても、その冒頭には、
ヘリコーン山に宮敷き居ます詩神(ムーサ)への祈りが入っているが、ヘーシオドスは初めて系統的に神々の系譜と、
英雄たちの物語を伝えた。このようにして、彼らの時代、すなわち紀元前9世紀から8世紀頃に、「体系的なギリシア神話」がヘレネスの世界において成立したと考えられる
[『ギリシア神話の世界観』 pp.22-23。]。