清が討伐軍を本格的に動かし始めたため、ロシアはゴロビーンを特使として派遣し、1689年に
ネルチンスクで清の索額図(ソンゴトウ)と交渉を開始した。ロシアは清との交易を望み、清は
モンゴルの
ジュンガルを孤立させることを望んだため、利害関係が一致し、交渉が成立した。両国間では言語が異なるため条約の原文はラテン語からなっており、清側のアドバイザーとして二人の
イエズス会員
トマス・ペレイラ(Thomas Pereira、徐日昇)および
ジャン・フランソワ・ジェルビヨン (Jean-Francois Gerbillon、張誠)が交渉にあたった。
対等の条約ではあったが清にとって有利なものとなった。なぜならロシア側にとっての念願であった
不凍港を獲得できなかったからである。清は、ロシア関係の事務をモンゴルや内陸アジアの朝貢を扱う
理藩院で行うなど、ロシアを朝貢国としてみなしていた。その後、
1858年の
アイグン条約で黒竜江が両国の境界線となり、
1860年の
北京条約でネルチンスク条約は廃棄された。