1946年から1948年にかけて、この地域は
マラヤ連合として
イギリスの直轄支配を受けていた。しかし、この連合がムラユ人(
マレー人)の地位低下をもたらすものだったため、ムラユ人の民族主義的な反対が高まった。ムラユ連合は解体され、マレー各州の象徴的な君主(
スルターン)がその地位を回復させ、マラヤ連邦へと再編された。
当初のマラヤ連邦は独立国家ではなかった。マレー各州がイギリスの保護領としての地位におかれ、
海峡植民地を構成したペナンとマラッカはイギリスの
植民地であった。しかし、以前のマラヤ連合と同様に、一般にマレー半島地域の一部と考えられ、海峡植民地の一部でもあった
シンガポールは、イギリスの戦略上の理由などからマラヤ連邦に含まれなかった。