1925年
5月15日、上海にある日本資本の綿紡績工場の争議中に、工場側当事者が発砲し死傷者が出たことが発端となり、学生らがビラ配布、演説等の抗議活動を行い、5月30日には数千人規模のデモを組織した。
上海租界当局および日本、イギリスなど租界の諸外国は強硬に対処し多数の逮捕者が出た。イギリス租界警察がデモ隊に発砲し、参加していた学生・労働者ら13人が射殺され、40人余りが負傷した。これをきっかけに、全市規模の
ゼネストに発展した。
この事件は、例えば運動の中心が学生から労働者へ変わったなど、中国の民衆運動が
五四運動から次の時代・段階に入ったことを示す画期的な事件であるとされる。また1925年7月の広東(広州)
国民政府成立を後押しする大きな力となったとも評価されている。