1954年(昭和29年)に留萌での大相撲北海道巡業で、当時の横綱・
千代の山から声をかけられたことがきっかけとなり、相撲に興味をもつようになった。留萌・港南中学校時代は軟式野球の投手で四番。父親の食堂経営が行き詰まったために、旭川に移り住んだ。
北海高校、
旭川南高校、
留萌高校野球部、
増毛高校(当時の全国優勝校)、
天塩高校レスリング部(当時の全道準優勝校)から熱心に誘われていたが、全てを断り角界入りした。愛車は3代目メルセデス・ベンツ
S600L
1957年(昭和32年)1月場所、竹美山という
四股名で
出羽海部屋から
初土俵を踏む。入門のために上京した際、船酔いした結果体重が激減し体重不足となって新弟子検査は不合格だったが、前の場所から始まったばかりの
自費養成力士制度により
前相撲に進むことが出来た(この制度は一年で廃止)。翌3月場所は計量の直前に水を大量に飮んで体重基準を通過する。あまりにも痩せており、
香車というあだ名が付いたほどの軽量のため出世は期待に反して遅れ、当時あった「30場所で
幕下に昇進できなければ廃業」の規約を、もう少しで適用されるところだった。当人もそれを知ってこのままではいけないと奮起したという。