ゲルマン系の王は元々は戦争時に臨時に選ばれるもので、これがゲルマン、
スラブ系の
選挙王制につながっているが、この場合でも王の血統を引く事が選出の条件となった。また
ケルト系の
タニストリー制でも王の血統を持つ者から選ばれる。近代に入って新たに独立した国々が
王制を採用した場合、多くの国では最初から王が存在しないか、既に王家の血統が絶えていることが多かったが、その場合でも自国の
貴族から選ぶよりドイツ系の君主の一族を招いて王とすることがしばしばあったのも、王となるのは王の血統を引いた者といった概念があったからである。ヨーロッパではほとんどの場合、
王朝交代があっても傍系か
女系の血統を引いている。
「王」という言葉は古代
中国語に発する。
殷王朝の君主は自らは「帝」と称していたようではあるが、それに続く
周の君主は「王」を称していた。当時、王は天子の称号であり、
春秋時代に
周の統治能力が衰え、群雄割拠の時代になっても
封建制の下、各君主は周王を尊重して王を名乗るものはいなかった。
楚のように周を指し置いて「王」を名乗るのは文明外の蛮族を称するようなものと見なされた。しかし、
戦国時代には封建制が崩壊し、各国の君主が「王」を名乗ると「王」の価値が暴落した。そのため戦国時代を統一した
秦王の政は自らを「
皇帝」と名乗ることになった(
始皇帝)。それに続く
漢も皇帝を君主号として使用し、
三国時代や
東晋十六国時代、
五代十国時代など皇帝が乱立する時代はあったものの、最後の王朝
清まで至上の君主号であり続けた。一方で「王」は皇帝に次ぐものとされ、皇帝の一族が各国に封じられ、ときに与えられる称号となった。また、皇帝の支配の及ばぬ外国の君主を「王」にする、擬制することで、「世界を支配しているという事実」を作ろうとした。
冊封体制である。そのため、中華文化圏では「王」は中国皇帝から賜る称号であり、中国皇帝に臣従した証しとなった。