上記の例のような、教祖と呼ばれている当事者(例記でなら
浜崎あゆみ)が、その自らの活動による社会への影響力について、
宗教としての指導性を認識しない、あるいは主張しない、つまりは宗教的
信仰対象として自負、自認を表明せずに、この表現が会話中、文章中に上る時、この教祖という言葉を当てはめて使用するのは、むしろその「それを慕う人々」が自主的に使用するのでは無く、ある流行、潮流の中心となっている人物(或いは
商標・
ブランド)に対する、その熱烈な支持者群を揶揄して例える用法として比較的容易に使われる。