当時は野球をやるか柔道をやるか悩んだが、進学した根上中学校に柔道部がなかったため、野球に専念するようになったという。中学時代は
高桑充宏監督の下で
投手[イチローと松井のテレビ対談より]を務める傍ら、通算打率は6割を超え、3試合連続本塁打も放ったことがある。3年生になると飛距離は130mにも達し、軟球を割ることもしばしばあった。代わりのボール代だけでも半年間で10万円を超えることになったという
[赤木ひろこ著『ひでさん 松井秀喜ができたわけ』講談社文庫)]。練習試合で敬遠気味の四球を受けた際、バットを叩きつけ投手を睨み付けるという不貞腐れた態度をとった。これを見た自軍のコーチが激昂し、試合中にもかかわらず、松井を呼びつけて顔を何度も張った。この経験が後の5打席連続敬遠の際の落ち着いた対応につながったという。中学三年生時の松井の
体重は90kgを軽く超えていて、肥満気味の体型だった。星稜高校の
山下智茂監督は同校の試験を控えた松井に対し、「うちの野球部に来るなら、体重を80kgまで落としてきなさい」と伝え、入学時には言われたとおりに、10kg以上の減量をしてきたという。